愛しているよ

今日は、写真があって良かったなぁって話をしますよ。

ちょっとだけ泣いちゃうかもしれないけど、

こういう気持ちは残さないとどんどん消えちゃうから

一生懸命、書きますわ。


前に、残すなら笑顔がいいなぁって話したことあると思うんですけど

その話です。


私の母方のおじいちゃんは私が14歳の時に亡くなりまして。

14歳って言ったらもうあれですよ。中学二年生。

中二。人生で今が一番つらいわとか思っちゃっている時期。

私も部活に入っていて、その部活がまぁ厳しい。

週7!挨拶!やってやるぞ大会!みたいな


だからおじいちゃんのお見舞いは多分一度も行ってないし、

子供は行かなくていいって言われて死に目にも会えてないんですよね。


そもそもおじいちゃんってどんな人だった?って

全然わかんなくて。

あんまり話さない人だったかな、お酒飲んだらちょっとだけ喋ってくれたかな、

旅行にも一緒に行ったりしたけど、なんの話したかな

その程度で


そんな程度だったから、おじいちゃんが死んでから10年間

私のなかのおじいちゃんは、遺影の顔をしていて。

私のなかのおじいちゃんの笑顔はなんかの集合写真の

ちょっとだけ他人行儀な笑顔で。


だから私、あんなにすっごく愛おしそうに笑うおじいちゃん

初めて見たのです。孫を抱きしめて顔をくしゃくしゃにするなんて

本当に信じられなくて、涙がね、とまりませんでした。


写真がなかったら知れなかった

写真がなかったら思い出さなかった

そういうこと本当にたくさんあると思っていて


写真をとる意味ってもうそこにしか感じられない気がして


今もちょっと泣いてますけども。笑


私たちは生きていて、

生きているとたくさんの人に出会って

もう会えなくなった人のこと思い出すことも

どんどんどんどん減っていくものです。

思い出にしてるんじゃなくて

忘れちゃうんです。


でも写真を見たら自分が覚えていなくても

周りの人が覚えていて

こんなことしたね、あそこに行ったね、

そういう話をしながら笑ったりして

思い出が思い出のままで全然色褪せないの。


写真ってすごいよ、あって良かった。


SNSでいいねがつくとかつかないとか、

すっごく数に過敏になっちゃったりする私ですが

撮りたい写真はこういうのだよ。

未来で私の周りの人が笑ってくれる写真だよ。


忘れたくないなぁと今この話を書いています。





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