明日、夏が終われば

生きれば生きるほど、私は一人で生きているのではないんだと痛感します。


中学生とか高校生のころ、漠然と一人でいるような気持ちでいました。

別に辛いことがあったわけでもないし、家族仲は人並みに良好だと思うし

友達といるのだって楽しいし、それなのになんとなく

自分のことなんか誰もわかってくれないなんていう

小さな空虚感をずっと持っていたのです。


友達も家族も大好きで毎日楽しい

でも所詮人間は一人だよなって思っていたのです。


そのころよりほんの少しだけ大人になって、

別に劇的に考えが変わったわけではありません。


人は誰でも一人で生きていて、あなたのことも私のことも

本当の意味で理解してくれる人なんて

多分いないしこれから先も現れないんだと思います。


でも、楽しいことを思いだしたらそこには絶対誰かがいて、

今日の空綺麗だよって連絡くれる人とか

わざわざ遊ぼうって出てきてくれる人

あったことなくても写真をあげたら反応をくれる人


全く一人でなんて生きていないことに気づきます。

人は死ぬ時まで一人だよって、それはもちろんそうで

でもその上で楽しいこととか悲しいこと

綺麗なもの、共有したいと思える人たち

そういう人たちと、ちょっとずつ寄り添って一緒に生きているのです。


「明日、夏が終われば」というフォトブックは

そういう人たちのおかげで楽しかったり寂しかったり

色あせてみえる景色を写したいなと思いながら作りました。

そこに人はあまり写っていないけど

撮っている私の中には確かに向こう側に人を意識しています。


そうして、写真を通して出会えた人たちがわざわざお金を出して

フォトブックを買ってくれて

感想をくれて

中には、泣きましたって言ってくれる人もいて

それってすごいことだと

やっぱり私は一人でなんて生きていないのだと

本当に実感させられるのです。


言葉を伝えるのがうまくないけど

ちょっとでも伝わらないかな、と思いながら

今 文章を書いています。


歳を少しづつとるたびに、思いの幅が少しづつ広がります。

気づけなかった優しさに気づけるように

気持ちを言葉にする大事さを知って

心を写真に残す意味を考えて


明日夏が終わっても

後悔が残っちゃうような日々を

やりたいことがなくならない人生を

送りたいものです。


おしまい




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